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お中元の歴史・起源

意外と深いお中元の歴史

室町時代から徐々に広まりはじめたお中元の習慣。
「お世話になった人への感謝」という意味合いは、江戸時代に萌芽(ほうが)しはじめたといいます。現在では、会社の服務規程で贈答品の授受が禁止されるなどの影響もあり、若いビジネスマンのあいだで、お中元はやや影の薄い存在となっています。
けれども、感謝を込めて贈られた品物は嬉しいに違いありません。ここではお中元の歴史・起源についてご紹介いたします。

"中元"は中国の祭日が起源?

お中元の"中元"は、中国の民族宗教である「道教」の三元のひとつ、中元にあやかったものです。

古代中国には道教の三官大帝信仰があります。三官大帝は 下界に下り人々をおさめるので神の誕生日にあたる、上元(1月 15日) ・中元(7月15日) ・下元(10月15日)の日に、人々は廟を訪れて日頃の罪の許しを乞い、厄をはらってもらい幸せをあずかることを祈りました。道教では人間贖罪の日として、一日中火を焚いて神を祭る盛大なお祭りが行われていたそうです。
※三官大帝信仰:上元は天官賜福大帝といって天の神を統率(1月 15日生まれ)、下元は水官解厄大帝といって水の神を統率(10月15日 生まれ)、中元は7月15日生まれで、地官赦罪大帝といって地の神々を統率

この神は人々の様々な罪を許すとの伝説があり、中国の信徒は中元の日に一日中、火を焚いて、自分が犯した罪を懺悔したそうです。火の懺悔の後は、さらにその罪滅ぼしのため、近隣の人たちに贈り物をしたといいます。これがお中元の源になったといわれています。

仏教が日本に伝わると7月15日の中元と盂蘭盆会がお盆の行事となり、その際に子供から親に魚なども贈るようになりました(このころの贈答は家族間に限られていました)。盆礼ではそうめんや米、塩さばなどを贈答品として手渡す風習があり、これと中元が合わさってお中元という日本古来の文化になったと言われています。

お中元の広まり

手ぬぐい

お中元は室町時代、公家の間で広まっていき、江戸時代には庶民にもなじみのある慣習へと変化していきました。その時代に贈答品として重宝されていたのは、うどん、そうめんなどの乾麺だったようです。また商人たちが決算期である中元や歳暮の時期に、お得意先に対して手ぬぐいなどの粗品を配ったことも贈答の活性化につながったと言われています。

中国の民族宗教からくる贈答時期と商人が配りものをする時期が重なったことで、次第にふたつが混ざり合っていき中元や歳暮が、庶民の贈答行事へと広まっていきます。また、お中元の意味である、「お世話になった人への感謝を贈り物で表す」もこの時代に芽生えたといわれています。

お中元が現在のように仕事関係、お世話になった方へ広く贈られるようになったのは、明治30年代のことで、百貨店などが売り上げの落ちる夏の時期に大売出しを行ってから、お中元の贈答習慣が毎年、夏に定着したと言われています。

昭和のお中元商戦

百貨店の老舗、松坂屋においては、昭和9年にすでにお中元の配達をしていたとの記録が社内報に残っているそうです。現在のように冷凍便などはなかった時代ですから、日持ちのする缶詰、海苔、砂糖、そうめんなどを主に配達していたようです。
ちなみに、この当時のお中元の贈答品で注目を集めていたのは、赤ちゃん用の蚊帳、浴衣の反物、などだったようです。嗜好品よりも実用品が上位に顔をそろえており、重宝されていたことが窺えます。

ビール

テレビ、冷蔵庫、洗濯機の“三種の神器”が普及していった、昭和40年代のお中元の一番人気はビールでした。暑い盛りの7月、贈答品の冷えたビールを家で飲むというのは、家庭用エアコンの普及までは至っていない時代だけに、さぞかし格別だったことでしょう。
明治時代からビールはお中元の品物として贈られていたそうですが、当時は高価だったこともあり、ごく限られた人たちの中でのことだったそうです。

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